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イマココ

”イマココ”というタイトルに惹かれた。Twitterの普及もさることながら携帯電話で位置情報を使ったサービスが使われ出して、自分自身もiPhoneやAndroid携帯でFoursquareやGowallaを使ってcheck-inすることがあるので、このようなサービスを使うことが生活の中でどう変わっていくのか気になっているのでちょうどいいタイミングで興味惹かれるお題だなと手に取った次第です。 本書は二部構成になっており空間認知を切り口に、第一部では人間と他の動物との空間認知の違いを伝書鳩や蟻などの具体例を挙げながら比較する。人間の空間把握能力は偏光や磁力を感知する他の動物に較べて貧弱である一方、人間が持つ自意識があることで空間を感じるのではなく組み立てられる抽象化する特異な能力がある、と。で、そこから何がその人間の空間把握能力をエンハンストしてきたを第二部では地図を作り出すことから始まってアレグサンダーのパターンランゲージ、ジェイコブの都市設計といった話題で散りばめている。 本文で取りあげられる個々の具体例や巻末の脚注も豊富にあるしそれぞれなるほどと思うが、全体を通して読むとあちらこちらと若干とっちらけな印象を持ってしまう。たぶん僕が興味惹かれたポイントについてはむしろ濱野さんの補題で挙げていたアーキテクチャーの話題についてで、そこが物足りなさを感じてもっと掘り下げて欲しかった。

松丸本舗:高山宏の本棚

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丸善松丸本舗の著名人の本棚のコーナーが衣変えして高山宏の棚が出来ていた。三冊屋の体で紹介されていた氏のコメントを抜き書きピックアップ。 「アートフルサイエンス」 バーバラ・M・スタフォード 言語に抑制されてきた視覚的諸メディアの復権を現代的批判用語に徹底翻訳。 「グーテンベルクの銀河系」 マーシャル・マクルーハン 「フィネガンス・ウェイク」朗読を日課とし、禅に急接近した人物。汲めど付きせず。 「薔薇の名前」ウンベルコ・エーコ 中世そしてキリスト教がメディアの構造としていかに現代そのものか。 「アナモルフォーズ」ユルギス・バルトルシャイティス ルネッサンスの調和を象徴したとされる遠近法を標的にそれを反転した欲望を追求。 「フランスワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化」M・M・バフチン 身体・肉体を鍵に反理性を説く議論に至上の力を与えた。 「シェイクスピアはわれらの同時代人」ヤン・コット マニエリスムの語を用いずにこの上なきマニエリスム論を展開。 「夢の宇宙誌」澁澤龍彦 リブレイク(書物的)観念を障害つきつめた奇才の「小の中の大」思考の出発点。 「伝奇集」J・L・ボルヘス 収中の名篇「バベルの図書館」に代表される、本を巡る逆説の震撼的啓示。 「美術愛好家の陳列室」ジョルジュ・ペレック 美術館、そして絵という「小の中の大」を通して物語、そして本を眩惑的に考えさせる。

考える人 2008年春号

村上春樹による新訳だったり河出の世界文学全集をみるに、音楽での90年代の渋谷系周辺とカフェブームによるタワレコ発の旧作の定盤再発ブームのような見直しが、文学の方面でも最近大きな流れとして起きているようだね。で、 考える人 の2008年春号の特集は海外の長編小説ベスト100と題して、僕のような海外の小説をスルーして読んでなかった人にはもってこいのようなナビゲートとして使える一冊に仕上がっている。 考える人は毎回読み応えのあるボリュームに仕上がっているのは、週間月刊誌ではなく季刊誌だからか、それともUNIQLOの企業メセナ系雑誌のゆとりからなのか、と、ちょうど 文化系トークラジオ Life で雑誌を特集に喋っているのを聴きながら、この雑誌を読んでいたけど、新潮社はガルシアマルケスに続いてトマス・ピンチョンを新訳で来年だすようだね。これは楽しみ。

超人類へ!

本書の帯のコピーライトを見てSF小説と勘違いをしていて、読み始めて「あれ?これはノンフィクションだな」と気がついてしばらくは積ん読したままでスルーしていた。 で、再度読み始めると、ITやバイオ・ナノテクなどのテクノロジーの進歩・発展がこころ・からだにどう影響を与えているのかつぶさに観察した内容になっている。特に治療と能力増強の違いは区別がつくのかなど最新の具体例をまとめてあるので読み応えがあった。 なるほど筆者は(wipiedilaの項目を観ると)マイクロソフトの技術者だったりApex Nanotechnologiesという会社を興したり、とITやナノテク・バイオのジャンルについて見通しがきくからトランスヒューマニズムという彼の立場では言いたいことがあったのか炸裂している感じがいい。 私たちが今日の生活で利用しているものすべて、先達たちの活動の結果によるものである。「十分だ」などと考えず、その代わりに「さぁ、次は?」と問いかけてきた先達がいたから、今の私たちの生活がある。勇敢で向こう見ずな発明家や探検家たちは、よりよい生き方やより快適な生活を探し求めてきた。加えて、子供には時むんよりもよい健康状態と多くの機会を与えてやりたいと考えた。好奇心や、未知のものをためしてみたいという意志、危険に直面してもひるまない有機、それらを先達が持っていたからこそのすべてがあるのだ。濃厚から始まり、文字、日の枝葉、電気、抗生物質など、あげればきりがない。しかし、私たちは先達に借りたこの負債を返すことが出来ない。皆この世界から姿をけしてしまっているので、感謝の念を届けることも出来ない。 だが、返済は無理だとしても、未来の世代のために先払いはできるのではないか。子孫たちはあたしたちが開発した技術をなんらかの形で、(どんな形になるのか予測は難しく、わたいたちには創造すらできないかもしれないが)利用するだろう。歴史をひもとけば、あとの世代の人々は、私たちから伝えられた力を用いて世界をもっとよい場所にしようとするだろう。過去の世代の人々が成し遂げてくれたことを今こそ私たちが行う番なのだ。世界を探検し、行為と在り方をと新しい方法でもって実験し、そうやって学んだ知識を未来に向けてあたしていこうではないか。未来の人々に向かって、どのように生活せよと支持できない。多数の家族や個々人が...

千の脚を持つ男

この本の表扉には、"自然のバランスが崩れて興じが起こるとき、その全長として現われるのがモンスターである"と書かれている。モンスターの定義は、まるでウルトラQのような、いやもともとはウルトラQの下敷きがこの手のモンスター小説だ、とあとがきにある訳者の解説されている。 この本は、そんなモンスター小説の古典的名作秀作ともいえる作品10編をあつめたオムニバス形式の内容に仕上がっている。文庫サイズで手に取りやすくオムニバス形式なので、枕元に積んで寝る前にちょこっとずつページをめくっていたので、読み終わるまでに二ヶ月もかかってしまった。 で、正直に言って、読み応えはどうかと訊かれると「う〜ん」という感じになってしまう。このモンスター小説の書かれた時代から半世紀たった、CGなどのテクノロジーによって洗練されたハリウッド映画だったり日本の成熟したマンガの数々で育ってきた僕の世代では、ガツンとした読み応えがあまり感じられなかった。むしろこのモンスター小説に出てくる一個一個のアイデアが今の小説や映画やマンガなどの原型だということがわかってアイデアの遍歴を振り返るようでおもしろかった。これは、まるであたら悪しいOSが発売されて、一世代前のOSをひさしぶりに起動してかつて使っていたアプリを動かしてみて「前のヴァージョンはこんな感じだったのか」と懐かしむ感じでした。 昨今の新訳ブームのさなかに、SFモンスター小説の古典作品を新訳で揃えておいて新しく関心を持った層に手にとって貰いやすいという意味ではグッジョブではないでしょうか。

族長の秋

とても印象的なコピーだなと思う「百年の孤独」というタイトルとともに、ガブリエル・ガルシア=マルケスという名前は見聞きしていたですが、彼の作品はどれもまだ読んだことがなかった。で、はじめて手にする彼の作品として選んだこの「族長の秋、他6篇」を、なんの予備知識なく最初のページから読んでみたわけです。 彼の作品はストーリーに浸るというよりも、そこから想起されるヴィジュアルを眺めているような、しかも内容が現実的なものと驚異的なものが入り交じる感じで、どこかの写真展をブラブラと鑑賞して立ち止まってしまうような読み応えがある。 で、この本に収められている「大きな翼のある、ひどく年取った男」「軌跡の行商人、善人のブラカマン」「幽霊船の最後の航海」「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」「この世でいちばん美しい水死人」「愛の彼方の変わることなき死」とある6つの短編と、「族長の秋」という長編ではかなり文章の構造が違う。彼は作品ごとに文体が違うというか、作品に合った文体を選んでいるみたい。 で、もっとも印象的だった作品は、やはりタイトルにもなっている「族長の秋」という長編。"それは牛で一杯の宮殿にたった一人取り残された非常に年取った、考えられないくらい年取った独裁者のイメージ"という設定からしてぶっ飛んでいて、だけどイメージがはっきり見えておもしろい。おおざっぱな章立てはあるものの、それらの導入がすべて大統領の死の描写から始まり、しかもクロノジカルな時間の進み方ではなくて螺旋的にあっちにこっちに回帰するので、読んでいる最中に一度中座してしまうと、まるで大統領府の中を彷徨って自分が一体どこにいるのかわからなくなるような読んでいて迷子になりかけるような、とても不思議な感じの物語でした。 というわけで、なんだかひさしぶりに読み終えるのに偉く時間がかかってしまった。ガブリエル・ガルシア=マルケスをはじめて手にする時には、この「族長の秋」より「百年の孤独」などの他の作品の方がいいのかもしれない。でも、たっぷり時間のある時にストーリーを追うのではなくストーリーの中をぼ〜としたい時には、それこそオススメする作品でしょうか。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一といえばショートショートだが、自身の父や祖父について書いた「人民は弱し 官吏は強し」や「明治・父・アメリカ」あるいは「祖父・小金井良精の記」を通して、明治から大正そして昭和にかけての時代風景を興味深く読み眺めたことが印象に残っている。 星新一の特徴ある、淡々と優しくそれでいて醒めている文章に潜むその創作の謎を、著者が星新一が遺したモノを整理したり、小松左京や筒井義隆らをはじめ、鶴見俊輔やタモリ(とも交友があったのね、知らなかった)など関係者への取材によって解きほぐしている。 それは父親である星一の急死にともない20代の若さで星製薬の社長として、まるでバブルの宴の後ともいえる魑魅魍魎の中に放り込まれ苦労して、まわりの誰をも信じられなくなっていた時期があり、なかば現実逃避の先にたまたまSFがあったからとの推察している。 また、ショートショートという新しい文学のジャンルを開拓しようとした小説家としての苦悩や文壇における評価の低さに愚痴る所や、手塚治虫のように星新一も自分の作品に後から手を入れていたことなど、(僕が知らなかっただけに)興味深いエピソードが盛り込まれている。 で、ショートショートというジャンルが確立していく過程を読んでいて、ちょうど高度経済成長期の日本の時代背景とショートショートの雰囲気がマッチしていたんだなということがわかっておもしろい。 星新一のショートショートは10代の頃読んだはずなのにすっかり忘れていたので、これを機に本書に取りあげられている「鍵」を改めて手にとってみた。なんだか今でも古くさくない感じが、今のショートフィルムのような短編やYouTube的な視聴スタイルに似合っているからなのかな、と。