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超人類へ!

本書の帯のコピーライトを見てSF小説と勘違いをしていて、読み始めて「あれ?これはノンフィクションだな」と気がついてしばらくは積ん読したままでスルーしていた。 で、再度読み始めると、ITやバイオ・ナノテクなどのテクノロジーの進歩・発展がこころ・からだにどう影響を与えているのかつぶさに観察した内容になっている。特に治療と能力増強の違いは区別がつくのかなど最新の具体例をまとめてあるので読み応えがあった。 なるほど筆者は(wipiedilaの項目を観ると)マイクロソフトの技術者だったりApex Nanotechnologiesという会社を興したり、とITやナノテク・バイオのジャンルについて見通しがきくからトランスヒューマニズムという彼の立場では言いたいことがあったのか炸裂している感じがいい。 私たちが今日の生活で利用しているものすべて、先達たちの活動の結果によるものである。「十分だ」などと考えず、その代わりに「さぁ、次は?」と問いかけてきた先達がいたから、今の私たちの生活がある。勇敢で向こう見ずな発明家や探検家たちは、よりよい生き方やより快適な生活を探し求めてきた。加えて、子供には時むんよりもよい健康状態と多くの機会を与えてやりたいと考えた。好奇心や、未知のものをためしてみたいという意志、危険に直面してもひるまない有機、それらを先達が持っていたからこそのすべてがあるのだ。濃厚から始まり、文字、日の枝葉、電気、抗生物質など、あげればきりがない。しかし、私たちは先達に借りたこの負債を返すことが出来ない。皆この世界から姿をけしてしまっているので、感謝の念を届けることも出来ない。 だが、返済は無理だとしても、未来の世代のために先払いはできるのではないか。子孫たちはあたしたちが開発した技術をなんらかの形で、(どんな形になるのか予測は難しく、わたいたちには創造すらできないかもしれないが)利用するだろう。歴史をひもとけば、あとの世代の人々は、私たちから伝えられた力を用いて世界をもっとよい場所にしようとするだろう。過去の世代の人々が成し遂げてくれたことを今こそ私たちが行う番なのだ。世界を探検し、行為と在り方をと新しい方法でもって実験し、そうやって学んだ知識を未来に向けてあたしていこうではないか。未来の人々に向かって、どのように生活せよと支持できない。多数の家族や個々人が...

千の脚を持つ男

この本の表扉には、"自然のバランスが崩れて興じが起こるとき、その全長として現われるのがモンスターである"と書かれている。モンスターの定義は、まるでウルトラQのような、いやもともとはウルトラQの下敷きがこの手のモンスター小説だ、とあとがきにある訳者の解説されている。 この本は、そんなモンスター小説の古典的名作秀作ともいえる作品10編をあつめたオムニバス形式の内容に仕上がっている。文庫サイズで手に取りやすくオムニバス形式なので、枕元に積んで寝る前にちょこっとずつページをめくっていたので、読み終わるまでに二ヶ月もかかってしまった。 で、正直に言って、読み応えはどうかと訊かれると「う〜ん」という感じになってしまう。このモンスター小説の書かれた時代から半世紀たった、CGなどのテクノロジーによって洗練されたハリウッド映画だったり日本の成熟したマンガの数々で育ってきた僕の世代では、ガツンとした読み応えがあまり感じられなかった。むしろこのモンスター小説に出てくる一個一個のアイデアが今の小説や映画やマンガなどの原型だということがわかってアイデアの遍歴を振り返るようでおもしろかった。これは、まるであたら悪しいOSが発売されて、一世代前のOSをひさしぶりに起動してかつて使っていたアプリを動かしてみて「前のヴァージョンはこんな感じだったのか」と懐かしむ感じでした。 昨今の新訳ブームのさなかに、SFモンスター小説の古典作品を新訳で揃えておいて新しく関心を持った層に手にとって貰いやすいという意味ではグッジョブではないでしょうか。

族長の秋

とても印象的なコピーだなと思う「百年の孤独」というタイトルとともに、ガブリエル・ガルシア=マルケスという名前は見聞きしていたですが、彼の作品はどれもまだ読んだことがなかった。で、はじめて手にする彼の作品として選んだこの「族長の秋、他6篇」を、なんの予備知識なく最初のページから読んでみたわけです。 彼の作品はストーリーに浸るというよりも、そこから想起されるヴィジュアルを眺めているような、しかも内容が現実的なものと驚異的なものが入り交じる感じで、どこかの写真展をブラブラと鑑賞して立ち止まってしまうような読み応えがある。 で、この本に収められている「大きな翼のある、ひどく年取った男」「軌跡の行商人、善人のブラカマン」「幽霊船の最後の航海」「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」「この世でいちばん美しい水死人」「愛の彼方の変わることなき死」とある6つの短編と、「族長の秋」という長編ではかなり文章の構造が違う。彼は作品ごとに文体が違うというか、作品に合った文体を選んでいるみたい。 で、もっとも印象的だった作品は、やはりタイトルにもなっている「族長の秋」という長編。"それは牛で一杯の宮殿にたった一人取り残された非常に年取った、考えられないくらい年取った独裁者のイメージ"という設定からしてぶっ飛んでいて、だけどイメージがはっきり見えておもしろい。おおざっぱな章立てはあるものの、それらの導入がすべて大統領の死の描写から始まり、しかもクロノジカルな時間の進み方ではなくて螺旋的にあっちにこっちに回帰するので、読んでいる最中に一度中座してしまうと、まるで大統領府の中を彷徨って自分が一体どこにいるのかわからなくなるような読んでいて迷子になりかけるような、とても不思議な感じの物語でした。 というわけで、なんだかひさしぶりに読み終えるのに偉く時間がかかってしまった。ガブリエル・ガルシア=マルケスをはじめて手にする時には、この「族長の秋」より「百年の孤独」などの他の作品の方がいいのかもしれない。でも、たっぷり時間のある時にストーリーを追うのではなくストーリーの中をぼ〜としたい時には、それこそオススメする作品でしょうか。